おせち料理 平成七年の大晦日におせち料理を作り二つの重箱に入れて説明して渡したのに、一つは別 の所に置き完全に忘れて食べてなく、三日目に気付いた事もあります。 義母はお正月、必ず赤飯、煮豆、お煮しめ、田作り、キンピラごぼう、昆布の煮物、数の 子、紅白なます、刺身等は作っていたのでこれらを作り、特に紅白なますは、無いとダメだ ったのに食べてなく、物忘れが酷くなったのを感じました。 料理の数も盛り付けした時の食品の数も奇数でなくては叱られたので気を付けていたので すが、もうそんな事はどうでも良くなっていました。 平成八年の大晦日、昨年食べ忘れがあったので、今年は一つにまとめ、固いものは止め、 子供達もお煮しめはあまり食べないので、おでんを作りました。一番義母に喜ばれたのが、 おでんでした。 「温かいし、柔らかいしこれはええ」 と言ってもらいました。 この頃から義父がひどく変化してきました。 三〇日に、 「お餅を実家で搗いて持って帰りますから、待っていてください。」 と、二人に伝えて、朝出かけました。毎年お餅は、持って帰り、買いません。 夕方お餅を届けると、義父母の家にもザルいっぱいにお餅があります。 びっくりするほど多いので、聞いてみると、「買ってきた。」との事。 「あれほど買わないようにと言ったのに・・」 と、言うと 「そうかな、知らなんだ。」 と、頭にありません。 三十一日にお節料理を届けに行って冷蔵庫を見ると黒豆や煮豆、小魚の佃煮等各々五袋ず つ入っていました。 丹羽の黒豆を煮て届けたのに、正直言うとがっかりしました。 年越しそばは、昨年準備していたら昼間二人で食べに行ったと言われたので、「今年はどう しますか?。」と、相談すると、「作ってくれ。」と言われて家で食べました。 話す時は理解してもらったと思うのですが、忘れてしまうので、どうしようもないです。 色々な事が起こって初めて私達もわかるのです。全然想像もつきません。 でも、何となく勘も働くようになって「ちょっと待て、安心してはいけないよ。」と、思 うようになりました。 この頃から今まで以上に買い物が増え、異常に感じるようになりました。 いくらお金を渡してもすぐ無くなるので、一回に三千円義母に渡して、無くなれば又三千 円渡すようにしました これからが大変でした。 毎日四〜五回「お金が無い。」と義父が来て、時には2人で来たり、電話が掛かったり、私 たちのほうが疲れてしまいました。 そのたびに、お金を探しに行きます。 引出しの中、服のポケット、義母のバックや財布の中、(財布はあっても、見る事をしませ ん)だいたい場所はわかってきました。 時には一日で使ってしまいびっくりする時もあり、この頃毎日お金、お金で明け暮れまし た。 一日が台風のようで、夜九時頃様子を見に行って火元を確認して帰ると、夫と、 「子供達が二〜三歳の頃、寝るとほっとしたけど、あの気持ちと一緒だね。」 と、話したものです。 すると突然電話が掛かり、 「デイサービスはいつやったかな?。」 「まだ起きとるよ。」 大丈夫と思うけど、もし又ガスを使っていたらと心配になり、夜中の十二時にもう一度様子 を見に行きます。 私たちの体調が悪かったり、子供達が病気の時は、そとからガスや灯油の元栓を閉めて翌 朝開けに行きました。 台所の窓はカギを掛けていないので、そこから中の様子を見て帰るようにしていました。 「今日は早く寝よう。」と思う時は、義父母達が遅くまで起きて入浴もまだのときがあり、 三〜四回様子を見に行き、家が離れている のは不便な時がありました。特に冬は嫌いです。 夫婦げんか 平成六年〜七年は、よく夫婦げんかをしました。 「家内が怒って出て行った。」 と、義父が呼びに来ては捜しに行きます。(ほとんど夕方)一人で義母の従妹の、家の方へ 歩いていますので、なだめて連れて帰ります。帰るまで義父の事を怒って大声で話します。 家に帰ると、今度は義父を捜しに行かなくてはいけません。必ず夕方五時〜七時頃です。 暗くなるので交通事故を心配しながら、自転車でさがせます。義父は自分の甥の住んでい る方へ行きますのでだいたいわかります。 「お義母さん帰ってますよ。」 「そうかな、帰っとるかな。」 これで一件落着。 もう二人とも、今までの事は忘れて夕食か、入浴をして寝ます。 私は、これから夕食を作ります。 不思議とこんな時に限って夫は出張や仕事でまだ帰っていません。 私が体調が悪く熱があり、どうしても起きられなくて布団に入っている時に義父が呼びに 来る事が多いのです。 更年期症状で五〜六年体調が悪く、私自身が一番苦しい頃だったのでこれからどうなるんだ ろうと不安でした。 子供が、 「おじいちゃんが呼んでるよ。」 と、言うので、起きて行くとけんかです。 「私も、今日はどうしても気分が悪いのですけど…。」 「そしたら仕方がないなあ、私が捜しにいかんといけん。」 と、別れますが、やはり心配ですので私も捜しに行きます。 この頃は二人共自分の事しか考えず、私達や孫が病気で寝ていても、 「そうかな、そしたらいけんな(だめだな)。」 「気を付けさいよ。(気をつけなさいよ)」 と、言いますが十分も過ぎると忘れて又用事を頼まれます。 逆に義父が家出をして義母が「父ちゃんが、帰ってこん。」と言います。 義母、自分が義父を怒せたとは絶対言いません。 「又、けんかしたのですか?。」 「せんで、(しないよ)勝手に怒って出ていったんよ。」 「もうあまりけんかせんと(しないで)仲良くしてくださいね。」 義母には家に居てもらって捜しに行きます。 義父はいつも元結掛方面(スーパーマルミ近く)に居ます。 「お義父さん、お義母さんが心配していますよ。」 「そうかな。」 すぐ帰ります。 さっきまでの事は、もう忘れているのです。 子供と同じです。少しづつ分かってきたのは、子供と義父母達は、逆になりつつあると言う 事です。 子供達の幼児の頃を思い出しながら、老人心理を学びました。 ある時、したらダメ、と言わずに、しなさい、と言ってみようと思いました.(子供には、 効果があったので) 義父が「家内が怒る。」と言った時、 「お義父さん、そんなにお義母さんがいつも怒るのやったら、もう別れたらどうですか?お 義父さんは私達の家に来さって(来られ て)お義母さんは実家に帰ってもらいましょう。」 義父はびっくりして、 「そんな事をしたら、家内は生活費も無いし、いまさら実家には帰れんやろ。」 「本当に別れるのやないいんです。わざと言うんです。そうしたらお義母さんも今さら実家 には帰れんから、もうお義父さんに文句は言わんとおもいます。怒らなくなります。」 「それは無理やろ、今更実家には帰れん…。」 と、言いながら義父は自宅へ帰って行きました。 その後二〜三日は静かでした。夫にも義父達がけんかをしたら、そのように話すように頼み ました。 数日後、義父が来て、「息子が、母ちゃんと別れると言え、と言った。」と話したので、 「そうですよ、本当にわかれるのやないいんです。わざと言うんです。そしたら困るのはお 義母さんなので、もう怒らんようになると思います。」 「言うてみようかな。」 と、言いながら帰っていきました。 私が何回言ってもダメでしたが、やはり息子の言う事は聞いてくれます。そのようにはな したかどうか分かりませんが、その後一回もお互いに家出もしないし、けんかをしたと言っ てきませんでした。 平成八年には色々ありました。 お彼岸やお盆に仏様にお供えしているお菓子が無くなったり、「おまるこ」一番上の一個 が無くなったりします原因が分からず聞いても「さあ、しらん。」と無関心です。 「おまるこ」を新しく買って来ると義父も二組ずつ買って合計三組あります。どうもお菓子 は義父が食べたようです。 義母は間食はあまりしませんが、義父はよく食べていました。 仏様の御霊具の準備や、しきび等の水替えを台所でしていると、台所は生臭物を扱うの で、そこでしてはいけないと言われ、洗面所へ移動したこともあります。 次からは、私共の自宅の方で準備してから持って行くようにしました。(仏壇は、この頃 は義父母の家にありました) ディーサービス 何日も前から一日数回、「いつかな?。」と聞きに来るので、 「前日に知らせますから、それまでは忘れてください。」 と、言った時もあります。 前日知らせて朝準備をしに行ってみると、二人ともいません。 忘れて病院に行ったり、時には明倫橋のバス停で待っていたり、(家まで迎えに来てもらう のをわすれています) 無事に車に乗るまでは何が起こるかわかりませんでした。 パール荘で入浴した後、義父は時計が無いと言っていつも捜しては皆様に迷惑を掛けてい たようです。(ポケットに入っているのを忘れて・・等) 留守の間に義父母の家の大掃除をします。 冷蔵庫の中も見て古い物を処分します。この日は呼びに来られる心配が無いので気分的に楽 で、助かりました。 義母は、市立病院の眼科も毎日行き、(行ったのを忘れ) 「昨日も行きましたから、今日は行かなくてもいいです。」と、いくら言っても納得しませ ん。 お医者様が、「〇月〇日、視力△△。」と記入して二週間分の記録をメモして、義母達に渡 してくださったこともあります。 しかし、翌日はもう忘れて、又行くというので、この紙を見せて納得してもらいました。 しかし三日目にはもう通用しません。 病院へいかないようにするにも大変でした。 「頭が痛い。」と寝ている時、「病院へ行きましょう。」と言ったら、「今日はきぶんがわ るいけん、行かん。」と布団の中から出て来ない時もありました。 点滴 義父が倒れて入院した時、(夜十二時過ぎにトイレに行く時、足が立たなくなりました) 私は紙オムツを買いに行き、夫は食事に出かけ、義母は一人にするのは心配なので病院へ連 れて行きました。 「お義母さん、ここに居るだけでいいから、お義父さんのそばにいてください。」 と、頼んで出かけました。 三〇分後に帰ると、夫は先に帰っていて 「お袋一人で病院に置かんようにしてくれ言うて看護婦さんに怒られた。一人の患者に二人 の看護婦が要ると言われた。」 何の事かと思えば、点滴している義父の手をしっかり曲げて、 「父ちゃん、手を動かされん(動かしたらだめ)動いたらいけん。」 と、義母が上から押さえて、義父は「痛い、痛い。」と苦しがっていたそうです。 この時は二人部屋に義父一人が入っていました。 夕方、看護婦さんが私にも、 「ばあちゃんを一人病室に置かんようにしてね、Tさんも大変やね、一人ではよう診んやろ う。老人ホームに申し込みをしとった方がいいよ。じいちゃんが帰ったら二人も診れんやろ う。」 と、言ってくださって、何も考えてなかったのでそんなものかなと実感がわきませんでし た。 でも、その通りになって義母を老人施設で預かってもらうようになりました。 義父は付き添いさんにお願いして(三人部屋で一人の付き添いさんに診て頂いたので費用 も安く助かりました)義母の件でまずパール荘へ相談に行き一泊だけお願いできました。 翌日、一日自由になる時間が出来たので市役所へ相談に行きショートの券を貰いました。 幸い光来園が空いており、三週間預かってもら頂けるようになり本当に安心しました。 その後三週間追加が認められました。どこへ相談したらよいか分からなかったのですが、パ ール荘は数ヶ月前からディーサービスを利用させてもらっていたので最初に相談しました。 本当に今すぐ困っている時に、相談出来る所があるのは有難い事です。 老人や病人を連れると車の免許がないのはとても不便です。 私は自転車なので、時間がかかりとても不便でした。 この時は義父は病院、義母は老人施設と両方の面会で忙しかったけど、周りの方々に助け てもらい毎日過ごす事ができました。 義父の所へ朝は夫、午後は私と最低二回、子供達も出来るだけ連れて行きましたが、義父 も孫の事はあまり関心がなく、子供たちも、 「おじいちゃん、どうですか?」 と、声を掛けた後は遠慮がちにしているし、義父は、 「キクノをつれてきてやんなはい(ください)。」 と、義母に会いたがります。 その様子を見ていた付添いさんが(とてもしっかりしていて、色々教えてもらいました) 「そんなに度々連れて来んでも、じいちゃんも関心がないのやけん無理をせず学校が休みの 時でええのやない?」 と、教えてもらい、一週間に一回お見舞いに行きました。 義母の所にも子供達は、一週間に一回必ず連れて行き結構、子供達も忙しかったんだなと 思います。 毎週会っても、義母は、 「これは誰?大きなったね、保育園の時に会ってずっと会わんかったけん。」 「お前、子供がおるのを初めて知った、こんな子がおるのか。」 何回行っても初めてです。 おじいちゃんと孫でも、年が離れ過ぎると自分の事と息子には関心があっても、ほとんど孫 は忘れて記憶にありません。 元気な頃でも義母は「あんたの子。」義父は「ここの子供さん」と言ったりしました。 接触が少なかったので、入院したり施設にいると少しは分かってくれるかなと思って会いに 行かしたのですが効果無しでした。 |