散髪

 義父は自分で理容院へ行くので気にしなくてもいいの

ですが、義母はカットをいやがりました。

一度ショートにしてもらって、

「可愛い、よく似合います。」(長髪より若返りました)と写真を写してあげると喜びまし

た。

 しかしその後カットする時はいつもいやがります。

「これ以上切ったら坊主になる。」

「この前切ったばかり。」

と、切りません。

長く伸ばしてアップにしてあげるのも良いけれど、洗髪も度々で出来ないし、私は自分の髪

もセットできないので無理でした。

 おじいちゃん、おばあちゃん、は禁句

義母は昔から「おばあちゃん。」と呼ばれると、「私はそんなに年寄りやない。」

と、怒りました。

 近所の子供が「おばあちゃん。」と呼んでも、必ず「おばちゃん。」と、言い替えます。

 義父が入院時に、付き添いさんが、

「ばあちゃん、ここに座んさい。」

と言ったら、

「私はばあちゃんやない、この人もとうちゃん!じいちゃんやないで・・。」

と強い口調で言います。いつもこの一言で周りの人を気分悪くさせます。

 今年の二月に子供を連れて面会に行き、

「おばあちゃん。」

と、言うと、

「私はばあちゃんやないで。」

「これは、孫なんです。」

「孫か、そしたら仕方が無い。」

と、その時は言いました。

 こうして書いていると、あの頃追い詰められてどうしたらいいかわからない気持ちを思い

出します。

これは実際に体験した人にしか分からないと思います。私も分かりませんでした。

今は一言話しを聞いただけで、どれだけ精神的に大変か分かるので話しを聞き、そんな事も

あったと自分の体験を話すと、相手も「大変やったんやね。」とお互いの気持ちがわかり、

「がんばろうね。」と、明日からの元気が出ます。

 介護をしている人で暗い顔を見ると、あの頃の私を見るようで、何か私に出来る事はない

かと思ってしまいます

一番嬉しかったのは、「大変やね。」と言って話しを聞いてくれる友人がいた事でした。

 特にヘルパーさんが、

「まだ子供がちいさいのだから、自分達の家庭も大事にせんといけんよ。」

と、心配してくださったり、ある時何も言わないのに私の顔を見て、

「あ、大分疲れとるけん、来週から週二回くるようにします。」

といってくださり、ディーサービスや訪問看護の利用方法も教えてくださって、二週間過ぎて、

「もう大丈夫ですね、一回にします。」

と元に戻った頃、私も元気が出ていました。とても救われ、あれで乗り越えられました。

 又、夫の親戚の人達も私達を心配して、度々電話をかけてくださいました。

 苦しかった頃、手助けしてくださったヘルパーさん友人知人のありがたみは忘れません。

本当に有難かったので、いつか私に出来る事があれば、助けてくださった方に返すことは出

来なくても、他の人の手助けをしようと思っていました。

 初盆も終わり、義母も数ヶ月老人施設で診てもらっており、何かしなければともっていた

頃、新聞でボランティアの記事を見て少しだけ手伝っています。

十二〜三人集まり、二〜三人ペアを組んで手伝っています。

 私はこのボランティアを通して充実感と人の和暖かさ、話し合いの大切さを学びまし

た。M君の、

「ありがとうございます。」

の、さわやかさと友人の荒っぽさの中のおもいやりと明るさ。先生方が、

「お世話になります。」

「ご苦労様です。」

と、気持ちよく接してくださり、学校へ行くとこちらがパワーをもらって帰ります。

高校生の頃、恩師の言われた言葉「このクラスは引っ込み勝ちで、いいものを盛っているの

に積極性がない。」

「何でもやってみなさい。たとえ失敗してもやらなかった人よりは、何かの形でプラスにな

っています。」

「一日一回活字に目を通しなさい。新聞でも何でも構いません。そして考えなさい。」と。

この言葉を心に止めて、今まで生きてきました。

私はとても消極的だったのですが、この言葉を思い出しながら高校生活を過ごし学校生活の

中で一番充実していたのが高校生活でした。

良き師に出会う事は、幸せな事だと今でもありがたく思います。

  その時の出逢いが 人生を根底から

  変えることがある。

  よき出逢いを

               相田みつお

反省

 一つだけ、これは後で分かったのですが頼まない方がよかったことがあります。訪問看護です。

 予備知識はなく、少しでも出入りがある方が義父達の刺激になっていいのではないかと教

えていただいて、電話でお願いしました。

 義父は血圧が高いけど、日常生活では元気なほうでした。

亡くなる半年前くらいから薬は飲んでいました。

家に来て頂いて血圧を測り、問診をしてから話しをして頂き一度義母を散歩に連れて行って

もらった事があります

 若い看護婦さんで熱心なのですが、熱心過ぎて「血圧が高いので食事療法をしないと下が

りませんよ、栄養士さんだったなら(十年前に辞めています)分かるでしょう!減塩醤油位

は買っておくべきです!」

 ショックでした。この食事療法は無視していた訳ではないのです。

むしろ、いつも心に引っ掛かっていました。

 しかし夫と相談して「もう九十歳なので、あれこれ制限するより好きなものを食べさせ

て、お酒も少しなら飲まそう。」と、決めていました。

親子で悔いの無いように、好きな事をして貰おうと。

 決めていても、気にはなっていたので、『栄養士、食事療法、減塩醤油』の言葉を聞き、

この頃は毎日がストレスで、自分ももうこの生活に耐えられんと思っていた時なので、つい

義母に当たってしまいました。

「お義母さん、もう十年以上も前の話しをせんといてください!」

(義母は昔の事はよく分かるので、仕方ないのですが)

看護婦さんは、「けんかせんように、仲良くしてくださいね!」と、強く言って帰りまし

た。

私も義母の家に居たくなく飛び出しました。自宅に帰る途中、隣のIさんに会いました。

Iさんは、いつも、

「大変やなあ、時々は息抜きしさいよ、いつも走って忙しいなあ」

と、声をかけて下さいます。

この日は、私の様子がおかしいのが分かり、

「あんたも大変やな・・。」

と、声を掛けてもらうと涙が出て、

「もう、ようしません。」

と、言いながら家に入りました。

義母の味付けは少し辛めで最初の頃、私が持って行ったおかずに、醤油を加えて味を付変え

ました。

しかしこの日は、ほんの少し薄味にして届け、醤油も全部捨てて、醤油さしの中も減塩醤油

に入れ替えました。減塩醤油も一本買って台所に置きました。

 夕食前に様子を見に行くと私が届けたおかずは一回食べただけで、鍋の中身を全部水切り

に捨てて、新しく自分達でおかずを炊いていました。

もちろん醤油は今までと同じ物を買って減塩醤油と二本ありました。

この時義母はまだ料理が出来ると言う事と、自分の好みで無いものは食べない事が分かりま

した。

 看護婦さんはまだ若い人だったので、仕事熱心で病気を治すと言う事を一番に考えたのは

よく分かります。もうその後は訪問していただくのを断りました。

義父や義母の好きなものを食べてもらいました。食べるだけが楽しみでしたから。

 訪問看護は本当に病気で看護を必要とする人意外は必要無かったのです。あの看護婦さん

も嫌な思いをされた事でしょう。

 どうせするなら、何でもいやいやするより、気持ちよくしようと思っているのですが、自

分の体調が悪いとつい愚痴が出ます。

元気で出来れば楽しくこうどうしたいものです。

 老人施設

 初めて義母を施設に預かってもらった夜、義父の病室へ行き付き添いのYさんと話をして

いると涙が出て止まりません。

 子供を初めて保育園に預けた時の心配な気持ちと、義母がわがままを言って周りの人を困

らせているのではないかとすごく心配でした。

 Yさんが、

「大丈夫よ、あのばあちゃんは自分のペースに相手を引っ張るタイプやけん、心配せんても

大丈夫、預けた方が安心よ。」

と、慰めてくれました。

 その夜は眠れませんでした。朝すぐ電話で様子を聞き、午後様子を見に行って安心しまし

た。

馴れるまでは、出来るだけ私も度々面会に行きました。

友達も出来てYさんの言われた通りでした。義母のペースです。

 施設の介護士の方達はプロです。見ていて感心します。入所している老人の方に接するの

も上から見下ろすのではなく、同じ目線で接しておられます。

どの施設も同じですが、特に今義母の居る『うわ』で運動会を見せてもらった時に、皆さん

全員がおじいちゃん、 おばあちゃんと一緒に心から笑って楽しんでいる様子がわかり感動し

ました。

 近頃義父や義母のおかげで老人の方達と交際が増えて色々教えていただく事が多くなりま

した。

友人のHさん、義父の妹で八十五、六歳のY叔母さん(横浜市在住)義母の友人のKおばち

ゃん、皆さんよくお手紙を下さいます。

 私も、お礼の電話のかわりに手紙を書くようにしています。

(お年なので急いで電話に出て転ぶといけないし、耳が遠くなっている方もおられるので)

 初盆のお礼状等、印刷の余白に義母の近況を記して出すとKおばちゃんは、とても喜ん

で、

「きいちゃん(義母)の事をいつも書いてくれるので嬉しい。」

と、」よろこんでくださいます。

 幼馴染はいいものだと、義母達を見て感じます。

 皆さんどの方もしっかりされて、まだお元気な方はいっぱいおられ、色んな事を教えてく

ださるので嬉しくなります。  今は亡き堀部のおばあちゃんは、(ドレスメーカー女学院

の院長先生のお母様で、私は洋裁はせずお茶だけ習っていました。)「私の知っとる事は全

部教えてあげる。それが年寄りの務めやと思うとる。」と、いつも言われてましたが、私も

あの頃から二十年以上も年を重ね、完全におばちゃんになったけど、若い人達に何を教えて

あげられるかと考えると、なにもありません。                

 振り返ると実家の両親からも、色々な事を教えられました。

 老人問題については、義母達を通して学ばせてもらったことです。

 先日松山在住の友人(私より二歳年長)が電話で言いました。

「私もこの頃老眼になって見えにくくなり、お茶碗を洗ったら娘が、お母さん、これよく洗

えてないよ、と言うので、年取った人の気持ちがわかった。」

その、教師をしているという娘さんに、

「もし、これからお母さんのような年代の人が洗ったものが汚れていても、わざとでなく見

えにくいのだから、黙って、あなたが。洗ってってあげなさいね。」

と、話したと聞き、とても嬉しかったです。

 これから母親になる若い人に、

「そんな優しい話し方で、教えたらいいね。」

「逆に、年取った人の気持ちがよく分かるようになってきたもんね。老人は手抜きではなく

自分なりにしているけれど、目も耳も体もうごきにくなったけんよね。」

と、お互い気持ちがわかります。

 友人が言いました。

「今は亡くなった母の事も分かるような気がする。あの時こんな気持ちだったのかと…。」

 友人のお母さんは腰を痛めて長い間寝たきりで友人が介護していました。

こんな形で気持ちがわかるのは嬉しくありませんが、これも仕方がありません。

「それなりに気をつけて、元気で仲良く助け合って生活しようね。」

と、受話器を置きました。

 義父母の記録をまとめ終わった時、本箱の中から一冊の本を見つけました。

「痴呆性老親の介護をめぐって。」というページを読むとこれだったんだと納得しました。

なぜ今まで読まなかったんだろう、買ったままです。

一応手探りでも、経験してみた後だったから素直に納得できるのかもしれません。私は一生

懸命になり過ぎたような気がします。

「明日の事を心配したり、目の前の事わずらわしいと思ったりしない。」こんな気持ちにな

れませんでした。 

言葉は悪いけど、『まだらボケ』の頃が義父母も、私達も疲れました。激しかったです。

 今は義母も大分痴呆が進んでかわいく思うところがあります。

子供も巻き込んで共に協力し会って皆に助けを求めました。

両親が変化し始めた頃、実の親をこんなふうに見ていくのは息子としてつらいだろうと思い

最初に話し合いました「これは自分の親だと思うとつらいけど、老人になると誰もこんなに

なるのだから、年を取った人の変化だと割り切って様子を見ながらお互いに協力しよう。」

と、決めました。

そのように思わないと義父母の、日々変化する様子も夫に話せないし、私も一人では絶対介

護できません。

 あの頃は小学校の息子もテレビ番組で『渡る世間は鬼ばかり』を必ず観ていました。

 家族五人で痴呆の事を知る為に、あの時間は意見が合いました。

私は一日の様子を仕事から帰った夫に話してストレス解消をしました。(ほとんど返事だけ

で聞いていませんでしたが。)しゃべるだけでもいいのです。

 聞いてない証拠に、今回まとめたものを読んだ夫に、「これは全部話した事。」だと言う

と、「ほとんど聞いてなかった、初めて知った事が多い。」と、言いました。

これから老人介護をする友人、従姉に私の経験が少しでも参考になればと願って思い出した

事を書いてみました。

協力してくださった方や老人施設の皆様に感謝も込めて。

                 平成十年三月二日