これは、夫の両親が同時期に具合を悪くされた宇和島市の、主婦の方の手記です。
老人介護
平成八年八月一日 午前六時三〇分 (休みでゆっくりしていた日)
「ピン・ポ〜ン」
両親が寝巻き姿で電気釜を抱えて立っていました。息子である夫が、
「朝早くから来なさんな。(こないでよ)。」
義母「これを見よ。」
夫「見んでもわかっとる。」
義母「中に入る!それを置きなはい。」
と、義父に命令して怒っています。
夫「置かんでもええ、わかっとる。こんな早くから来なさんな。」
義母「他人の家や無い!息子の家やけん来るんよ!。」
「しかたないやないか、お前らは、なんぼ(いく
ら)言うてもわからんけん見せに来たんよ。」
「この釜がバリバリになるけん見せに来たんよ。」
ご飯を一度に沢山炊きすぎて二〜三日置きバリバリになります。(もっと大きい電気釜を
買い替えろと言われています)
「またか」と、こっちの方がプッツン。
私「それは私がいつも言いよることです。これはごはん
を沢山炊きすぎるけん(炊きすぎるから)ですよ、一
回三合にして下さいと、いつも言いよるでしょう!
なんぼ言うてもわからん言うのは、こっちが言いたいです」
言いすぎました、でも言ってしまいました。
義母「わかった!」怒っています。
この頃両親ともよく怒りました。義父が電気釜を持って帰ります。
九時ごろ電話があり、「ちょっと来てみよ」と呼ばれ又同じ事を言われる。お昼前にも呼ば
れ同じ事を言われ、これが何日も続く。
「これで7回目ですよ」と、つい言ってしまう事もありました。
色々な事で同じ事を何回も言われるけど、当時私逹はそんなに深く考えず、物忘れがひどい
と思っていました。
両親共怒りっぽくなっており、義父は穏やかな人だったのに、話しがきつく色々文句を言
いに来るようになりました。
ご飯は自分逹が炊くと言って、何か一つでも仕事をした方がいいので炊いてもらっていまし
た。
米櫃の前に『一回三合炊いてください』と紙を貼ってもダメ。(二人で一日三〜四合でし
た。)
どうしてもダメなので、一升だけ袋に入れて冷蔵庫に入れ『一回三合炊いてください』と大
きく書いて貼っていました。『お米は冷蔵庫にあります』と書き、米櫃に貼りました。
しかし、その都度「米が無い」と呼びに来たり、電話がありました。
後になれば私逹もわかったのですが、(両親は)もうこの頃はメモを見ても、判断するこ
とが出来なくなっていたのです。
時には、米屋に電話注文して、お金が無いと義父が来てあわてて注文取り消しをした事もあ
ります。
お金が無くなったと言われ捜すのは馴れましたが、大切な書類は出て来ない事が多く再発行
の手続きが大変でした
郵便配達の方にお願いして郵便物は全部私逹の方へ配達してもらって私が儀父母の方へ届け
るようにしました。
食中毒
O157の食中毒が心配で、生卵を食べない様言ってもダメで、全部卵を私達の家に持っ
て帰り「必要な時は言ってください」と話すと「わかった、食べん食べん」言いますが、食
事時に見に行くと自分達で買って来て生卵が
お皿に入っている事が度々ありました。
あわてて卵焼きにしたりしますが、私が届けた以外のおかずを自分達で買って食べていまし
た。
買ったのを忘れて又同じ物を買って、刺身等も翌日残っていたり一回に二千円〜三千円分
処分した事もあり、様子を見ては処分しました。
パンも一回に五〜八個買ったり、義父は買い物が好きなので、止めるとストレスが溜まり
怒りっぽくなります。
最後は、一回三千円義母に渡し、無くなると又渡す様にしていました。生活費十万円から、
五万、三万、一万、五千円、三千円と変化しました。様子をみながら手探り状態でやって来
ました。
『赤痢のような恐い食中毒になりますので、生卵は食べない様にしましょう』
と、書初め用の長い紙に書いて食事をする部屋に貼ったら次に行くと無くなっていました。
捜すけれどどこにも無い、又書いて貼ってもすぐ無くなる。数ヶ月後大掃除の時、洋服ダン
スの上置いてあるのがわかりました。ゴミ箱に入れずこんな所に置くのに感心しました。
「お義父さん、こんな所にありました」
「そうかな、だれが置いたんやろうかな?」
完全に覚えていまえん。
今なら私も考える余裕がありますが、あの当時は毎日の生活に追われ、一日何度も呼ばれ
話すとしっかりしているので、分かってもらえると思い一人で一生懸命になりすぎた感じが
します。
何かあって説明してもすぐ忘れ、電話が義父と義母、交代で何回か掛かる。
その度に説明するが二人共自分の思い込みが本当だと言い、義父が、
「それはあんたの勘違いやろ、あんたの方が間違っとる。」
と、言われると本当に私の勘違いかなと瞬間思った事もありました。
洗濯
洗濯物は着替えをしてもらうのが一苦労!「今着替えたばかり」「昨日洗濯した」と服を着
替えてくれない。一時的ではあったが、義父の下着が汚れていてもわからない時があり、最
初数枚は捨てたけど、こんな事をしていたらもったいないと思い、その後は熱湯をかけてタ
ワシでこすり、洗濯機で洗うときれいになりました。
「パンツをみますよ、チンチンがみえたけどかんまんね。(かまわないですね)あっ、これ
は洗ってないですよ汚れとるけん着替えて下さい。向こうで待ってますから・・」
子供に言うように話すと義父も素直に着替えるようになりました。
恥ずかしいので怒ったりしたのかもわかりません。
義母もなかなか着替えてくれないので、私が脱がそうと思って上から脱がすと、
「上からはいや!下から」
と文句を言って怒ります。
「忙しいのに、上でも下でもいいでしょう」
と、わざといいながら一応希望通りにします。
頭の方から服を脱がすと、メガネが引っかかるのが嫌みたいでした。
この着替えに時間を取られるのでつい義母に
「お義母さんみてください。早めに着替えるようお義母さんから言ってください。」と、前
後汚れたパンツを義母に見せると、手で振り払い、
「嫌で、そんなもの」
と、言って見ないので、
「お義母さんの旦那様ですよ。」
と、言うと、
「そうやな」
と、自分も笑っていました。
布団干し
これも一仕事でした。
ある日、押し入れの中の布団を全部出して、捨てる物(シーツ等)クリーニングに出す布
団、干す布団と分けていると怒りだし、
「この前洗濯したばっかり…」
と、言い出して仕事が出来ません。
あまり怒るので、私もやる気がなくなって、
「もうやめた。」
と、家に帰ったけど、すぐ気になり一〇分もせず又義父母の家に行ってます。
夫が義母に、
「文句を言いなさんな」
と、言ってくれて仕事が進みました。一人っ子なので息子の一言はきいてくれます。
それでも干していると、外に出てきて、
「干したらいけん」
と、怒って、私は、
「干さんといけん。」
と、言い合っていると、隣の方が来て、
「これは干したら気持ちええんよ、布団まで干してもろうていいね。」
と話してくださって納得。
しかし、クリーニングに出す為、外に出して置いていた布団はいつの間にか又家の中に入れ
てありました。
トイレ掃除
トイレは決心して始めないと出来ません。
「さあ、始めよう。」
と、決心して洗剤をかけて擦っていると、義母は昼寝をしながら、
「私は、目が悪いけん、洗剤は、使わんといて。」
「もう使いました。洗剤を使わないと落ちません。」
気にしていては、掃除になりません。戸を閉めてあっちこっちと洗剤を使って掃除をしま
す。
ついでに、浴室も磨いて気持ち良くなるのですが、すぐ元に返ります。
この頃はもう二人共掃除をするという事は頭になく、逆に汚しているんではないかと思える
位、一日、四〜五回、時には七~八回、様子を見にいくたびに、箒で掃いてゴミを取っていました。
酒
ある日、三時三〇分頃様子を見に行くと全部家の中のカーテンを閉めて義父がコタツの前
に座って赤い顔をしています。
びっくりして聞いてみると、
「頭が痛い」
と言うので、
「病院にいきましょう」
と言うと、
「いやいや、たいした事無い。」
と嫌がります。
義父はとても病院に行くのを嫌がるので、血圧が高く時々連れて行くのにこまりました。
義母は朝から布団の中で起きて来ません。別にどこも悪くはないと言います。
ただ私が話しているのを聞き,
布団の中から、
「父ちゃん病院に行ってきさい!」
と、大きな声で隣の部屋から言います。
お酒の匂いが少しするので、
「お義父さん、お酒を飲まれましたか?」
と、聞くと、
「飲んでない。」
と、言います。
水分を補給した方がいいと思って冷蔵庫を開けると、ジュースはなくて、お酒の飲みかけ
が入っていました。
(意識して水分を摂取するようにジュース、ヤクルト、サイダー等、特に夏は水分補給用に
味の付いた飲み物を買って冷蔵庫に入れておきました。お茶は食事の時以外は、あまり飲ま
ないので、何でも好きなものを飲んでもらうようにしていました。)
カーテンを閉めて夕方だと思ってお酒を飲んだかもわかりません。
子供が学校から帰ったのでジュースを買いに行かせて義父に飲んでもらい、布団を敷こう
とすると、
「もう大丈夫です。」
と、元気になりました。
カーテンを開け、
「今日はもう外に出ないで下さいね。」
と、話して私は買い物に行きました。
帰ってみると義父が外出の準備をしていますので、外に出ないように説得して、布団の中
にいる義母にも頼んで夕食の準備の為、私は自宅に帰りました。(義父母の家とは三軒隣で
した。)
義父は買い物、散歩等外に出るのが大好きですが、長時間帰らない事があり、義母が機嫌が
悪くなり電話をして捜します。
色んな所へ電話をします。お寺(龍光院)にも何回もかけました。
いつも気持良く奥様が、お墓まで捜しに行って下さいます。
龍光院は忙しいのに、いつも「気にしなくてもいいですよ、皆同じですから。」
と、優しくして下さるので、嬉しかったです。
「迷惑掛けるので、電話はしません。もうすぐ帰ってこられるから・・」
と、説明しても、これは絶対に納得しない義母でした。
イライラしすぎて、義父が帰ると「胸が苦しい、息が止まる。」と大騒ぎになります。
そうなると、又病院に電話しないと納得しないので、連絡して診てもらいます。
病院に行く頃にはほとんど元気になり、帰りには、
「あんた、先に帰んさい。子供が待ちよるやろ、私は歩いて帰る」
と、義父と二人で歩いて帰った事も二〜三回あります。
ある時は「眠れん。」とお医者様に話すと、「仕事をしよらんのやけん(してないのだか
ら)一日や二日眠れんでもかんまん(構わない)起きときなはい(起きていなさい)。」
と、言われました。
昼寝をして夜は六時か七時に布団に入り、夜中に目が覚めて朝方から眠り、十時〜十一時
まで寝ている時もあっ
たようです。
起こすと、「気分が悪い。」と言うので本当かと思っていました。
安定剤を貰って飲んで昼寝をし、夜、目が覚める時もあったようです。
夕方様子を見に行くとコタツの中で寝ています。起こすと、
「朝かな?。」
「夕方です、ご飯ですよ。」
「もうご飯かな。」
と、機嫌良く起きました。
時には昼間、
「お義母さん、あまり寝たら夜寝れんけん、昼寝したらいけんですよ。」
と、起こすと、
「寝てない!」
「今、コタツで寝とったでしょう」
「目つぶって横になっとるだけ、寝てはない!」
と、すごく機嫌が悪くなります。
元気な時は、自分達で自由に病院へ行くので私達は安定剤を飲んでいるという事はわかり
ませんでした。
「薬の飲みすぎは体に悪い」
と、話しても、
「そうかな」
と、言うだけで、薬を貰えないと他の病院へ行って薬を貰っていたようです。
「あの病院はやめた薬もなんちゃくれんけん(なんにも、くれないから)。」
と、いったことがあります。
ビタミン剤を出してもらったら安心すると思います。
家でも、「チョコラBB」を一度飲んでとても気に入り時々「買って来い。」と、頼まれま
した。
掛かり付けの病院の看護婦さんが、
「(あなたは)お嫁さん?娘さん?。」
と聞き、
「嫁です。」
と言うと、
「大変やね。」
と、言ってくださいました。
悪気はないけど、とてもわがままなので病院のみなさんも大変なのがよくわかります。
本当に申し訳無いと思います。
おかず
忙しいとき義父母は夕食が早いので間に合わず焼き魚を買って持って行った事があります。
二日後に義母が、
「これ、父ちゃんが買うたけど食べんけん、あんたとこにあげる」
と、焼き魚をパックのまま持ってきました。
「これは私が持っていったのですよ」
「そんな事はない父ちゃんが買うた・・」
「このお店の物がおいしいと聞いたので、ちょっと遠いけど買いに行って・・お店の印が付
いとるでしょう?」
「そうかな、知らなんだ」
と、持って帰ろうとするので、もらって処分しました。
届けるのが遅かったので、自分たちで作って食べ魚はいらなかったようです。
この時に、おかずは自分達でも作れるとわかり、買って届けるのはやめました。
どうしても作れない時は、前もって話しておくと自分で作ってくれました。
しかし平成7年からは、作るのは完全に止めてもらいました。火の始末が心配なので温める
だけにして貰いました
火元の確認は必ずして夜も9時頃か、時には最終十二時頃様子を見に行き、外から元栓を止
めて帰ったりしていました。
数年前に電子レンジを持って行き説明しましたが、新しい物には異常に拒絶反応を示し、
怒って使いません。
何回も怒って「あんな物は使わん。」と言って来たり、電話が掛かったり、夜九時頃にも電
話で怒られて、
「もう使わなくてもいいです。」
と、諦めました。
温かい物が好きで、アンパンも焼いて黒く焦がして食べていました。
朝ごはんが終わると、九時前からお昼のおかずを作るよう何回も催促され、持って行くま
で五回も六回も電話が掛かります。
一時期義父母の声がすると息が詰まる事がありました。
食事の件だけでなく全て忘れ何度も何度も二人が別々来るので、この頃は私達の方がノイロ
ーゼになりかかっていました。
一日分のおかずを作り、朝渡すようにしました。煮物が希望なので調理は簡単です。
大根、じゃが芋、人参、かぼちゃ、ごぼう、里芋、玉ねぎ根菜類に豚肉、時にはチリメンジャ
コやてんぷら(宇和海でとれる小魚をすりつぶしてつくるハンペン)を組み合わせた煮物で
す。
肉は豚肉です。他の肉は固いと、いやがりました。
ギョーザ、具の多い味噌汁、茶碗蒸し、豚汁も大好きでした。
あっさりした味噌汁は「汁だけ」と言っていやがりました。
おひたし、酢の物、天婦羅やフライ等は、持っていっても食べずに何日も冷蔵庫に入れてあ
りました。(食べるのを忘れているのかもわかりませんが・・)
温かいものが好きでしたので、老人がO157になりにくいのは、こういう所に理由があ
るのかなと思っていました。
ただ、生卵には悩まされました。鍋も、焦がして何個買い替えたかわかりません。
鍋のまま届けると、自分達で好きな時間に食べるのでお互い楽になりました。
刺身は必ず毎日買って食べました。午前中に買って、又午後も買い、食べきれずに何日も
冷蔵庫に入っていたり二日前のを、私達に「食べさい。」と、持って来たりするのは度々で
した。
煮豆、昆布、小魚の佃煮、漬物は、毎日、トマト、いちご、みかん等もよく食べており、
老人の食事内容としては良いのではないかと思っていました。豆腐も毎朝義父が作りたてを
買いに行って食べていたようです。
牛乳は私が買って来ていましたが、義父が歯の治療中は食事が食べにくいので、もう一本増
やすように注文されました。
食生活には気を付けるというか、食べる事には積極的だったので元気でした。
納豆も好きだったと聞いたので、時々持って行き、ある時、冷蔵庫を開けると7〜8個出
てきてびっくり。
義父は買い物が好きで、買っては食べずに、買ったのを忘れて又買い、在庫になっているの
です。
刺身、納豆、漬物、佃煮は必ず義父が買うとわかり、持って行かないようにしました。
義母の従妹が遊びに来て、いつもお昼はお弁当を頼んでいておいしいので、義母にもにも
薦めたようで、その店のお弁当を注文するよう頼まれました。一日で「冷たくてまずい。」
と断って来ました。
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